変化の始まりは “ 認識 ” から

ー自分と自分の宇宙は実在しないー すべての問題の始まりは「自分がある」という人間共通の認識から。今までをAll Zero化した 「0=∞=1」から認識する新しい基準点。  本物のチームプレイ完成に向けてチャレンジしています!

青春時代 〜中学生編〜

〜変化の始まりは“認識”から〜をキャッチフレーズに、

AI時代に必要な今までにない組織、チームプレイを創るため、

新しい変化スタイルを提供するCallingerの山口禎子です。

 

私の青春時代を少しご紹介したいと思います。

 

「青春」って言葉もなかなか最近、使わない言葉ではありますが、

とても心くすぐる言葉です。

 

私は小さい頃から、熱い生き方、

何かに一点集中して本気と情熱で命を燃やすような

そんな生き方に憧れていたので、

「青春」という言葉に反応するのかもしれません。

 

中学生の頃は、ちょっと「悪い」ことに興味があったというか、

憧れのようなものがありました。

ずっと親の期待に応えるような、いい子でいたので、

その反動とも言えますが、そういう時期ってありますよね(笑)

 

中学3年の時、仲良し4人組で企てたことがあります。

私の地元は神奈川ではありますが、

田舎の方で中学校から歩いてすぐ、海があります。

 

テトラポットという波消しブロックが沿岸に並んでいる場所があり、

そこは私たちのお気に入りの場所。

いつものアジトのような場所でした。

 

放課後にテトラポットに集まっては、

カセットデッキを持ち出して、音楽を流して歌ったり、

音楽をBGMにしながら語り合ったりして過ごしていた、

まさに青春時代。

 

4人組の中に絵を書くことが上手な子がいて、

テトラポットの私たちのアジトに絵を描こう!と言い出したのです。

 

その絵は、テトラポットで夕日に向かって、

みんなが指差しているような、これまた青春そのものの絵です。

 

 

今思えば、公共の場所に絵を描くってダメですよね!

それが冷静にわかりますが、その頃は中学生。

世界の中に、自分という存在を示したいような、アピールしたいような、

その場所が自分たちの場所のような感覚で、

自分たちを中心に世界が回ってるかのような勘違いをしていました。

 

完成した絵は、すごくよくできていて、

大満足のむしろ自慢したくなるような出来でした。

 

誇らしいような、その場所に来る人にも

いい影響を与えるような、そんな感覚です!

 

中学生というものは、大きな夢や想いを持つ時期でもあると思います。

自分たちの力がどんなもんか試したくなるような、

大きい世界に挑んでいくようなエネルギーを持っています。

 

でも、もちろんこれはダメです。

公共の場所ですし、

そこがタマリ場のようになっては、

悪さがエスカレートする可能性もありえます。

 

私たちは女子4人組だったので、

他の人に危害を加えたり、暴力的なことは全くなかったですが、

大人たちはいろんな悪い方向を心配します。

 

近所の人が問題に思って、学校に通報がありました。

そして、ある日曜日の朝、担任の先生から電話があり、

寝ぼけて出た電話で、先生たちにバレテしまったことを知りました。

 

私たちは泣く泣く最高傑作であったその絵を消しに行きました。

私たちの居場所を大人たちに奪われたような、

邪魔されたような気持ちでした。

 

何かに反発や反抗したい時期でもある中学生。

多感な時期だからこそ、傷ついたりすることも多いですよね。

 

久しぶりに思い出しましたが、

私はあの場所が自分たちの居場所のように感じていたんですね。

家は、父の仕事がうまくいかず、荒れてたし、

高校生の姉も荒れてて、よく学校に呼び出しされてたり、

居心地の悪い時だったので、余計です。

 

家では感じている感情や、思っていることを

言うこともできないまま、そのやり場のないエネルギーの

発散場所でもあったと思います。

 

私にとって青春は、楽しかった反面、複雑な想いも一緒に含まれています。

楽しいだけじゃなかったから、

あまり思い出さなかったのかもしれません。

 

私は今、大人になって、これから益々青春したい気持ちです!

これからする青春は、複雑な想いを全部反転させて、

どんなエネルギーもワクワクな未来に繋がるような、

感動ドラマになっていく青春です。

 

感じた想いをひとつも無駄にせず、余すところなく

素敵な未来を創るエネルギーに変えていきたいと思うのでした。

 

 

青春、一緒にしませんか!?