変化の始まりは “ 認識 ” から

ー自分と自分の宇宙は実在しないー すべての問題の始まりは「自分がある」という人間共通の認識から。今までをAll Zero化した 「0=∞=1」から認識する新しい基準点。  本物のチームプレイ完成に向けてチャレンジしています!

【映画】レ・ミゼラブル

〜変化の始まりは“認識”から〜をキャッチフレーズに、

AI時代に必要な新しい教育、組織、チームプレイを創るため、

変化スタイルを提供するCallingerの山口禎子です。

 

私の心に残る映画をご紹介させて頂きます。

レ・ミゼラブル 」です。

 

色々と自分の好きな映画を並べてみると、

ミュージカル映画が多いように感じます。

この映画も2012年公開されたミュージカル映画です。

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私が映画を通して考えさせられたことがあります。

それは、

「本当の自由とは何か?」「本当の愛とは何か?」

 

皆さんはどのように表現することができるでしょうか?

私なりの表現で、お話させて頂きたいと思います。

 

 

“ 自由 ”

時代はフランス革命後。

王を倒しても、別の王政ができ、民衆たちは

その日生きるか死ぬかの毎日を送っていました。

 

住むところも仕事も、生き方も自分で選ぶことが難しく、

当時の法律や身分、立場によって限られてしまう支配された人生です。

 

その中でジャン・バルジャンは“ 自由 ”になりました。

 

なにから“ 自由 ”になったのか...?

 

それは、王政や社会に対しての怒り、憎しみから。

そして、常識、法律、正義にさえも縛られない自由なんだと思いました。

  

社会の中で常識や法律、正義がありますが、

これは時代と共に変わってしまうものです。

 

限られた範囲にだけ通用するものでは、その立場の枠を超えた時、

それまでの常識では通用せず、別の選択を迫られます。

ジャベール(ジャン・バルジャンを追い続けてた警部)を通して、

そう、感じました。

 

 

“ 愛 ”

映画の中では、いろんな“愛”が登場します。

 

司教の愛、親子の愛 

仲間との愛、パートナーとの愛、片想いの愛...

 

どの“愛”もとても偉力があり、共通して言えるのは、

どんな条件、状況、環境にも貫き通している“ 愛 ”だという事です。

 

自分の危険、恐怖、どんな結果になることも関係なく、

愛する人への想いを貫くために、どんな事をしてでも成し遂げようとする

強烈な力、意志そのものです。

 

この映画を観ていて、何度も涙しましたが、

「感動」というより、「悲しみ」を強く感じました。

 

 

それぞれが、それぞれの神に誓い、

それぞれの正義の下、使命感を持って、人と人が殺しあう。

 

こんなに悲しいことはありません。

  

「もう殺さないで」

 

そんな魂の叫びのようなものを感じました。

それは現代にも通じます。

 

今も世界の国々で紛争、戦争が繰り返されています。

戦争がない国、日本だとしても、体の命は殺されることはないですが、

人の可能性や魂が傷つけられ、殺されています。

 

お互い攻撃したり、排除したり、否定したりしていても

争い、衝突は決して終わらせることはできません。

報復が報復を繰り返し、恨みが継承されてきた、今までの歴史でした。

 

司教やジャン・バルジャンが見せてくれたように、

これから私たちは、個人個人の枠を超えて、

どんな条件、状況、環境になったとしても、

自由な心と変わらない愛を貫いて、

新しい社会を創っていかなくてはいけない。

 

そんな決意をさせてくれた映画でした。