変化の始まりは “ 認識 ” から

ー自分と自分の宇宙は実在しないー すべての問題の始まりは「自分がある」という人間共通の認識から。今までをAll Zero化した 「0=∞=1」から認識する新しい基準点。  本物のチームプレイ完成に向けてチャレンジしています!

心の叫びを表現していた、子供の頃の習い事

〜変化の始まりは“認識”から〜をキャッチフレーズに、

AI時代のチームプレイを実現するため、 

新しい変化スタイルを提供するCallingerの山口禎子です。

 

最近、芸術的なものや、人とご縁を頂くことが多くて、

考えてみたら、小さい頃にピアノと習字を習っていました。

 

だから元々、音楽とか、字を書くこととか、

表現することが好きだったなとふと思い出しました。 

 

世の中にはいろんな表現があるけれど、

音楽にしても、字や絵、アートなものは、

心を揺さぶられる、そんな作品もありますよね。

 

私がなぜ、小さい頃にピアノと習字をやっていたのかと思うと、

最初のきっかけは、

ただ姉が始めたから、とか、

仲良しのお友達がやってるから、とか...

「仲間に入りたい」そんな気持ちからだったのかなと思います。

 

でも、私は、ピアノも習字もかなりはまっていきました。

ピアノは4歳から始めて中学3年の受験前まで

習字は、7歳から始めて社会人になっても数年続けていました。

 

それだけ続けていたのは、理由があります。

そん時には気づいていませんでしたが、

最近、芸術作品や人物に触れて、気づきました。

 

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キーワードは「表現」

 

幼稚園や小学生の頃から中学、高校まで、

私はずっと人見知り。

自分の思っていることは言わない。

むしろ言ってはいけないと思っていました。

 

自分の「思っていること=わがまま」 

そんなイメージを持っていたからです。

そして、「わがまま=人を困らせる、嫌われる」

だから決して思っていることは言わない。

無意識的にそう決めていた子供時代でした。

 

自分の思っていることを表現しないので、

周りも私がどんなことを思っているのか解りません。

表現はしないけど、私は誰かに気づいて欲しかった。

それは、褒められたいというより、

存在自体があるよっていうだけで良かったんです。

 

言葉では表現できない思い、感情を表現していたのが

ピアノであり、習字でした。

 

ピアノは、曲にストーリーがあります。

そんなに本格的にやってた訳ではなかったので、

時代背景や、歴史はよくわかっていませんでしたが、

音階やテンポ、強弱でいろんな感情を表現することができます。

 

そこに集中してその曲になりきるような

何も考えない時間。

人にどう思われるかを気にすることなく、思い切り表現する時間。

それがとても楽しかったです。

 

習字にしても、先生のお手本を見ながら書いていきますが、

同じ形でも個性が現れます。

とめ、はね、はらいを

どんな角度で、どんな筆づかいで、どんな強弱で書くかで、

まったく様相が変わってしまいます。

 

字と字の空白までも繋がり、動きが見える作品。

そんな自分が納得するような字が書けるまで、

何度も何度も書くことが、自分との闘い、向き合う時間になっていました。

 

 

そんな精魂込めた作品たちは、いろんな賞を頂いたり、

代表に選んで頂いたりとしていました。

これも、普段言葉では表現しない分、

すべての思いを込めて、表現された作品になって、

作品が自分の思いそのものになっていたのだと思います。

 

今は、言葉でも自分の思っていることを、伝えられるようになりました。

言葉で多くのことを表現できるようになったので、

逆に作品として、間接的な表現は必要なくなってしまったというか、

する機会がなかったように思います。

 

人は表現体だなと思います。

「表現してないよ」と思う人もいるかもしれませんが、

歩いていても、話さなくても、表情1つ、言葉1つ、しぐさ1つに

人それぞれの表現が詰まっています。

 

間接的に作品を通しても、人を感動させることができる訳ですから、

人そのものは、どれ程表現できる存在かということです。

 

感情が人を動かします。

自分の思っていること、感情を閉じ込めていては、

相手に伝えることが難しいです。

表現しないことで、自分の思っていること、持っている感情を

自分が気づいていないという方も多くいます。

 

私もそうでした。

それが日本人に共通するトラウマから

表現ができなくなっている。ということは、

あまり結びついている人はいません。

 

「自分の感情、思っていることを表現しない、我慢する」

そうさせたきっかけがありました。

 

それについては、また整理してみたいと思います。