変化の始まりは “ 認識 ” から

ー自分と自分の宇宙は実在しないー すべての問題の始まりは「自分がある」という人間共通の認識から。今までをAll Zero化した 「0=∞=1」から認識する新しい基準点。  本物のチームプレイ完成に向けてチャレンジしています!

チャレンジは人生の材料増やし

〜変化の始まりは“認識”から〜をキャッチフレーズに、

AI時代のチームプレイを実現するため、 

新しい変化スタイルを提供するCallingerの山口禎子です。

 

 

「チャレンジ」

この単語を聞いて、どんなイメージが思い浮かびますか?

 

ワクワクする人、気が重くなる人、

緊張感が走る人、自分とは関係ないと思う人、などなど...

 

 

 私が捉えている「チャレンジ」は、

やったことないことをやる!です。

 

 

やったことないことをやるとなったら、

最初は勇気がいることです。

イメージのないこと、未知の世界で予測もできないこと

そこに飛び込むことは不安や恐怖を感じる人も多いはず。

 

 

思い切り、チャレンジできたら、できるかもしれないけど、

アクセルと同時にブレーキも思いっきり踏んでしまう。

 

本当は気軽に、新しいことにチャレンジしてみたいけど、

そんな自分は想像できない。

 

今までの自分のイメージを壊しそうで、

人から見放されるようで、自分のイメージを壊すことができない。

 

 

このようなイメージは、過去の経験、体験によって

作ってしまった数々の思い込み。

 

本当は、もっと違う自分に出会いたい、変わりたいと

思っているのに、やってみることは、

新しいようで、自分のイメージのつく範囲内だったり。

 

「やりたいこと」より、「できること」を選択していませんか?

 

自分の可能性を広げたい!もっと新しい自分を発見したい!

本当は奥底からそんな思いに溢れている方には、

自分の想像もつかないこと、

ありえない!と思えることにチャレンジすることをオススメします!

 

「できること」を選択して実行しても、

それは、今までの常識やルール、秩序など、環境によって

決められた範囲の中に過ぎません。

 

この選択を繰り返した結果、

いつでも、環境や条件、状況によって、

やるか、やらないかの選択が振り回される人生になってしまいます。

 

「できること」と「やりたいこと」は同じですか?

 

本当に「やりたいこと」をできる人生にするには、

できるか、できないかより、

『やるためにどうするのか?』を考える必要があります。

 

それがやったことあるか、ないかは問題ではありません。

できるか、できないかは、やったことないことであれば、

やる前にいくら考えてみても、判断がつかないのは当然ですよね(^ ^)

 

「できること」を選択していると、

内容は変わっても、同じようなことを繰り返してしまい、

マンネリになります。

それはまるで、材料が卵しかない中で、

玉子焼きか、目玉焼きか、ゆで玉子にするかの違いなようなもので、

変わりばえしない結果に物足りなさを感じてしまうのです。

 

材料を増やすことで、料理の幅もレパートリーも広がります。

材料を増やすこと、それは、

やったことのない世界、イメージと出会うことです。

 

1人でやるチャレンジは、とても勇気がいりますが、

それを仲間と一緒にやること。

これがチャレンジのヒケツです。

個人を超えるためには、個人に代わる主体が必要です。

チーム、場、組織は、個人を超える道具でもあります。

 

 

やったことのない「チャレンジ」一緒に始めませんか?

 

 

f:id:yoshikoyamaguchiblog:20181112112038j:plain