令和哲学カフェの衝撃 〜考えの美学〜
〜変化の始まりは“認識”から〜をキャッチフレーズに、
日本から、ポストコロナ時代に必要な「世界基軸教育」を案内し、
令和チームプレイを創建する、マインドームインストラクターの山口禎子です。
2020年5月21日から平日毎日開催が始まった「令和哲学カフェ」
4年間は続けてやっていくという、主催者の覚悟が感じられる会です。
主催者は、令和哲学者のNoh Jesuさん。
始まったテーマは「美学」
その中でも5回シリーズで小テーマが設定され、令和哲学を深めていきます。
5/26(金)の回は、「考えの美学」第3回目でした。
ほぼ毎日参加していますが、それまでの中で一番感動した内容が
満載だったので、その衝撃をお伝えしたいと思います。
「考え」は1日60,000回も使っていると言われていますが、
質問されて衝撃を受けます。
「考え」の材料とは?
「考え」の生まれる仕組みとは?
「考え」の目的とは???
日常的にとてもよく使っているにも関わらず、
私たちは、全くと言っていいほど、「考え」について何もわかっていません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
考え1つ変われば、人間が変わる
by Noh Jesu
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
この言葉の衝撃については、
「令和哲学カフェ>令和哲学AWARD>特異点ディスカバリー部門」に
5月26日分として選ばれ、掲載頂きましたので、コチラをご覧ください。
衝撃はこれだけに留まりません。
「考え第1号」が何なのか?
これまた難しい、考えたことのないような質問です。
どこから始まって第1号のことなのか、
その大前提がないまま、ひとそれぞれの出発が違うところから
論理展開がされて、議論が噛み合わず、カオスになっていきます。
何から始まる「考え第1号」なのか?
それは、
『75億人が幸せ、成功になる一番知恵ある考えの始まり』
その「考え第1号」が何か?という質問だったのです。
質問自体も衝撃ですが、Nohさんから表現された、
質問に対する言葉に、さらに衝撃を受けました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本物の世界を、何ひとつ知らないんだ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「知っている」と思うたくさんのことは、
なぜ、「知っている」と言えるでしょうか?
何を「知っている」のでしょうか?
私たちは、目で見えるものを「有る」と思い、
耳で聞こえるもの、鼻でにおえるもの、口で味わえるもの、
肌で触れるものを「有る」と思ってきました。
「有る」ものに名前を付けて、意味、価値を付けて、
その単語を使って、論理を展開させて、様々な考えをしてきました。
その全てが、偽物だった_______
本物に何ひとつ出会っていなかった________
私たちが「有る」と思っていた世界は、
認識主体と認識形式(観点)が出会った結果に過ぎず、
認識形式(観点)が変わってしまえば、
簡単に結果である、目の前の現実、「有る」世界は変わってしまいます。
例えば、目は可視光線を捉えて物事を認識しています。
その観点(ものの観方)が、X線を捉える目だったら?
目の前にいたはずの相手は、姿、形は全く変わって、
骨姿の相手になってしまいます。
条件が変わってしまう、目の前の「有る」世界は、
本物なのでしょうか?
これまで科学は、存在が「有る」ことを大前提に、
自分以外の世界である認識対象を理解するために、追求してきました。
それに対して、哲学は、認識主体を理解するために、追求してきた学問です。
ただ、これからの哲学である令和哲学では、
この人間の体も認識対象としています。
認識対象は、認識主体と認識形式(観点)の出会った結果物であり、
手と手をパンと叩いたら、音が出る。
この音のようなものが、認識対象である、存在が「有る」世界なのです。
ー 本物の世界を、何ひとつ知らない ー
そこに考えが納得できた時、不思議とスッとした気持ちになりました。
Nohさん曰く、「本物の勉強はここから始まる」
何ひとつ知らないことを受け入れた時に、
同時に出会ったのが、無限の可能性です。
そこから無限の可能性にワクワクしながら、
未知なる世界にステキな予感を感じながら、冒険が始まりました。
そして、人の話を聞けるようになりました。
衝撃的な、不思議な心地よさに包まれた時間でした。
少しでもこの衝撃を共有できたら嬉しいです。
新しい冒険を一緒に始めていきましょう!
意識をアップデートする
令和哲学カフェ https://reiwaphilosophy.com/
平日毎日 21:00〜22:30開催中!