変化の始まりは “ 認識 ” から

ー自分と自分の宇宙は実在しないー すべての問題の始まりは「自分がある」という人間共通の認識から。今までをAll Zero化した 「0=∞=1」から認識する新しい基準点。  本物のチームプレイ完成に向けてチャレンジしています!

人間として生きる意味は存在しない。それで納得できますか?

〜変化の始まりは“認識”から〜をキャッチフレーズに、

AI時代のチームプレイを実現するため、 

新しい変化スタイルを提供するCallingerの山口禎子です。 

 

人間として、自分として、生きる意味とは何か?

 

誰もが一度は、自分に問いかけたことのある質問ではないでしょうか。

 

生きる意味は見つけられるのか?

誰もが考えたことのあるこの質問。

答えを見つけた人はどれだけいるでしょうか?

 

皆さんは、見つかりましたか?

 

本を読んだり、誰かの話を聞いたり、

また、誰かに質問してみたり、自分で考えたり...

 

行き着く結論は、

・そもそも意味はないんだ。

・考えること自体、時間の無駄だから、考えなくていいんだ。

・常識に縛られず、好きにすることだ。

・自分で決めればいいんだ。

・大きな生命体の一部から生かされているから、求めてはいけないんだ。

 

まとめると、「普遍的な生きる意味は存在しない」

 

本当にそうでしょうか?

納得できますか?

それで納得できる人、割り切れる人はいいかもしれません。

 

答えを得ない限り続く、考えの連鎖。

AI時代になり、考えないようにしていても、

納得したつもりでも、また問われるのです。

 

人間として、自分として、生きる意味とは何か?

 

答えを知らないままでは、生きることが苦しい、辛いという状況を

打破することはできません。

こういった人がこれから先、増えていくことは言うまでもありません。

 

生きるとは?

人類が誕生して500万年と言われますが、

多くの人が生まれ、死に、それを繰り返しながら、

文化文明を発展させてきました。

 

人間は必ず死を迎えます。

どうせ死ぬなら、生きる意味があるのか。

そんな考えが浮かぶ人もいるかもしれません。

 

人生と登山が似ていると、例えられることがあります。

ここで、1人の登山家の言葉をご紹介します。

「山に行っても行かなくても、いずれ人には必ず死が訪れる。8000メートル峰など、危険なところに行っていると命を無駄にしているように思われることも多いのだが、けっしてそうではない。

むしろ、「死」と隣り合わせになることで「生」を感じ、生きていることへの感謝の気持ちが出てくるのだ。

死を覚悟することによって、自分は何のために生きるのか、何に命を果たすのかを考えるようになる。人間にとって、長く生きたかどうかは関係ない。大切なのはどう生きるのかだ。」(栗城史多

 

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武士道で言われる言葉にも、

「死ぬ事と見つけたり」

 

宇宙空間の中は相対世界なので、

必ずペアが付いています。

 

生と死はペアのため、

生は死のためにあり、死は生のためにあるという事ができます。

これでは、納得のいく答えとは言えません。

 

生と死を存在させている次元では、

生からも、死からも、自由になることはできません。

 

すべての違いをなくす、差を取る「差取り(悟り)」

違いをなくした「1」だけがある世界。

 

ーーー 生きたまま死ぬ ーーー

 

ご紹介した2つの言葉にも通じます。

 

人間ができる唯一の選択は「自ら死ぬこと」

植物や動物にはできない選択。

それは体の死を意味するものではありません。

 

あくまでも、生きたまま、死ぬことです。

 

死んでいる状態だからこそ、生きることを全うできます。

今ここで完璧に死ぬからこそ、完璧に生きることができるのです。 

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どう生きるのか?

生きる意味についての結論でもありましたが、

「普遍的な生きる意味は存在しない」

 

これは、あらゆることに対して同じことが言えます。

幸せ、平和、成功に対しても、

普遍的なものは存在しないと言えますよね。

 

全ては相対世界。その次元では解決できません。

意味があるかないか、その価値観もバラバラの中で、

個人主義を追求し、個人の幸せ・成功を追求してきた今までがありました。

 

結果、膨大な情報・知識に溢れ、多様な価値観に溢れ、

人それぞれの判断する基準も多様化した状態で、

共通土台を築き、秩序を創っていくことができなくなってしまいました。

このバラバラを生み出した根本の原因が「観点の固定」です。

 

今までの歴史の中でも、

その後の未来を変える「歴史的な事件」がありました。

事件は1人で起こすことは難しく、

人との協力関係による集団が事件を起こしてきました。

 

協力関係・チームプレイを作ることができない(観点固定)個人が蔓延し、

集団を作ることができなければ、これから先の未来を変えるような

「歴史的な大事件」を起こす事ができません。

 

人間は自分以上のものに命を使うために生きています。

自分の自我を超えるチームプレイ・集団を作り、

「歴史的な大事件」を起こすこと、

そして、新しい時代を拓き、希望溢れる未来を創ること、

それが、人間として生きる意味になるのです。

 

「1」だけがある絶対世界。

この世界を活用しなければ、観点固定を解決した、

共通土台秩序を創ることができません。

 

 

わかるようで、わからないと思った方、

「1」だけがある絶対世界のイメージさえあれば、納得することができます!