変化の始まりは “ 認識 ” から

ー自分と自分の宇宙は実在しないー すべての問題の始まりは「自分がある」という人間共通の認識から。今までをAll Zero化した 「0=∞=1」から認識する新しい基準点。  本物のチームプレイ完成に向けてチャレンジしています!

関東と関西の違い② 意思決定

〜変化の始まりは“認識”から〜をキャッチフレーズに、

AI時代に必要な新しい教育、組織、チームプレイを創るため、 

変化スタイルを提供するCallingerの山口禎子です。

 

私は2012年に大阪に引越してきました。

来てみて様々なカルチャーショックに見舞われ、

2ヶ月間は新鮮な違和感と共に、関東と関西の違いを観察しました。

 

そこで発見した主観的な私の見解ですが、

特に私の気に入っている関西の特徴を3つご紹介させて頂きます。

 

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 関東と関西の違い① 基本単位

 関東と関西の違い② 意思決定

 関東と関西の違い③ どんな人か

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関東と関西の違い② 意思決定

違い①の応用Verでもありますが、意思決定です。

 

関東では、1人1人がまず自分の中にある最善の方法や回答を、

頭の中で検索した上で、場に投げます。

それは、東京ともなると、情報量が多く、変化が激しいため、

いかに効率よく、無駄な時間を省くことができるのか?

この問いが日常にあります。

 

なので、意味の無い、価値の無いことは、言うだけ無駄。というような

傾向があるように感じます。

しかし、集まっている複数人がみんな、それぞれに最善を投げるとどうなるか?

人それぞれの最善なので、全く同じはなく、ぶつかりやすい状況になります。

言ってみれば、あれこれと考えて形にした結果になるので、

一度できてしまった形を、変えることは簡単なことではありません。

 

一方、関西はというと、

出す言葉やアイディアは、特に意味がありません。

意味が有るも無いも関係なく、とにかく思いついたことをそのまま出します。

 

それぞれが場に思いつきを出していくとどうなるか?

無造作に集まっているアイディアが、材料になって、

「これええやん」なんて言いながら、

誰が出したものということも関係なく、

勝手に組み合わせたり、形を変えたりして、

こちらもLIVE感覚で、その場で形にしていくのです。

 

関西には、新しいものを生み出す「場」という概念があります。

その場は目には見えなく、形は無いのですが、

人と人が集まることで、いつでも、どこにでも創ることができるものなのです。

 

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