変化の始まりは “ 認識 ” から

ー自分と自分の宇宙は実在しないー すべての問題の始まりは「自分がある」という人間共通の認識から。今までをAll Zero化した 「0=∞=1」から認識する新しい基準点。  本物のチームプレイ完成に向けてチャレンジしています!

脱マンネリ化!仕事もプライベートも、心を満足させる「認識方式」

心が満たされて、充実した毎日を過ごすためには、

何が必要でしょうか?

その答えを持って、人生を楽しんでいるでしょうか?

 

誰もがそうしたいと思っていても、

継続して、やればやる程、

人生が楽しくなっている!という人がどのくらいいるでしょうか?

 

 

仕事に情熱を持って取り組んでいても、

会社の状況や、顧客との関係性、経済状況など、

目まぐるしく変化していく状況の中で、

自らの信念を持ち続け、貫き通すことは簡単な事ではありません。

 

納得のいく仕事をしようと思ったら、プライベートの時間を削り、

人よりも何倍も仕事に時間を費やすことになったり、

 

会社という組織の一員として、

求められる理想と目の前の現実の差に

ストレス、プレッシャーが増えていったり...

 

そんな中で、同僚や後輩は次々休職、退職になって、

さらにやるべき仕事は増え、責任は重くなっていく。

 

自分には、どうすることもできない、

変えることが難しい現実に、

仕事の時間で充実感を求める事を諦め、

プライベートの時間で、

心を充実させたいという方も、増えているのではないでしょうか。

 

 

せめて仕事以外の時間は、

自分の思った通りに、クリエイトしたい!

好きな事で好きなように時間を使いたい!と、

 

休日に気の合う友人と美味しい物を食べ、お喋りをしたり、 

 

世界各地へ旅行して、日本では決して出会うことのできない風景や、

人、文化と出会い、ショックを楽しんだり、

 

趣味や関心のあるものを共通に集まった人、出会った人たちと

交流を深め、楽しんだり。

 

 

でも実は、このように、

「仕事の時間」「プライベートの時間」を切り分けて、

どちらかを、または部分的に充実させようとしても

心の満足感を得ることはできないのです。

 

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その場限りの一時的に、楽しむ事はできるかもしれません。

ですが、継続して充実感を得る、増幅させるどころか、

やればやる程、刺激を感じにくくなり、マンネリになり、

同じことでは楽しむ事ができなくなってしまうのです。

 

なぜ、仕事でも、プライベートでも、

心の満足感、充実感を感じながら、やればやる程、

気づき、感動に溢れていくことができないのでしょうか?

 

 

それを邪魔するもの

その原因とはなんでしょうか?

 

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その原因は、人間の「認識」に秘密があります。

 

 

今までの私たちの「認識」とは、

体の感覚(5感覚機能:目、耳、鼻、口、皮膚)をアンテナにして、

Inputした情報=個人の体験、経験した情報を元に

脳で編集、デザイン処理されて物事を「認識」しています。

 

これを、「体験認識」と言います。

 

体の感覚で、取り入れられる情報というのは、

実はかなり、部分的な限られた世界に過ぎないのです。

 

 

また、とても大雑把だと言うことができます。

例えば、

人間の脳の認識では、

100m単位の変化しか捉える事ができないと思ってみてください。

100mから200mになった時には、「変化した」と気づいても、

101m、102m、ましては、100.1m、100.2mなど

小さな変化に対しては、捉える事ができず、

「変化していない」と「認識」してしまうのです。

 

 

この大雑把な認識であることも、

変化に気づかず、マンネリを生み出す要因の1つなのです。

 

 

「体験認識」を違う言い方をすれば、

「自然認識」と言うことができます。

 

普段、私たちは、意識することなく、

また、自分の意志とは関係なく、見えるし、聞こえてきます。

見たくないと思っても、見えますし、

聞きたくない事も、聞こえてきますよね。

 

これはバナナやりんごのような「自然産物」と同じです。

車や飛行機は自然に産み出されるものではありません。

人間の意志が介在して産み出されている「人工産物」です。

 

「体験認識(自然認識)」では、

“自分がある”ことが当たり前です。

 

その根拠は、見えるし、触れるし、

自分の意志で動かせる範囲を、“自分”であると「認識」します。

 

 

有る事が当たり前の“自分”に

価値を感じる事ができるでしょうか?

 

 

“自分”だけではなく、

見える事、聞こえる事も当たり前、

人と出会う事も、ご飯を食べる事も、

目の前にいる人も、日常のいつもの光景。

 

当たり前が蓄積していけば、それがマンネリを生み出します。

 

 

このような「体験認識」の限界を

補う事ができる認識が「概念認識」です。

 

 

「認識」も人間の意志を介在した「人工認識」に

次元上昇する必要があります。

 

「体験認識」のみで「認識」していたところから、

「体験認識」「概念認識」を補う事で、

5感覚の情報だけに依存するのではなく、

変化の仕組み、メカニズムから、物事を「認識」することができます。

 

当たり前に有ると「認識」していた存在や物事が、

実は、有る事が当たり前ではなく

「有難さ」=「有ることが難しい」ことを

「認識」する事ができます。

 

私たち人間は、自然に見えるもの、聞えるものを

「体験認識(自然認識)」によって、

「有る」と思っていましたが、

人間の脳が「有る」ように「認識」して思い込んでいるだけで、

実は、実在しない。真実は「無い」ということを

「概念認識」によって「認識」することができるのです。

 

今ここにある“自分”が

どこから、どのように、存在するようになっているのか。

“自分”の存在意味、価値を持って、

仕事もプライベートも取り組める、

だからこそ、思い切り、思う存分、持っている能力を発揮していけます。

 

いつでも、どんな状況、環境の中でも

気づき、発見、感動を、日々蓄積していけるLife Style!

 

そんなLife Styleを始めてみませんか?

 

 「概念認識」は誰にでも理解、納得頂く事ができ、

技術として活用、応用する事ができる認識方式です。

今までにない新しいLife Styleのチャレンジを

一緒に創っていける事を楽しみにしています!

 

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