変化の始まりは “ 認識 ” から

ー自分と自分の宇宙は実在しないー すべての問題の始まりは「自分がある」という人間共通の認識から。今までをAll Zero化した 「0=∞=1」から認識する新しい基準点。  本物のチームプレイ完成に向けてチャレンジしています!

My プロフィール ①【幼少期〜問題意識編】

 

判断基準・観点を開発する技術「認識技術」によって、
日本から、この時代をリードする教育を
グローバルスタンダード化しようと、日々活動しています。
 
 
私は元々、世界どころか、日本にも関心がなく、
自分のことで精一杯。
自分のことすら解らず、人の目が気になって、人見知り。
思っていることも表現することができない。そんな人間でした。
 
そんな私がこうして「新しい教育」をグローバルスタンダード化しようと
活動している訳なんですけど、そのプロセスを少しお話させて頂きたいと思います。
 
 

わがままできない末っ子 

 

私は三姉妹の末っ子として生まれました。

私が生まれた時には、すでに姉2人がわがままだったので、
私のわがままする隙がなく、困っている表情の母を見て、
「私はわがまま言っちゃだめ」そう思いました。
 
 
いつの間にか、
「自分のやりたいこと、思っていること」
=「わがまま」
=「誰かを困らせること」
そんな方程式が私の中で成り立っていました。
 
家族に対しても、友達や先生に対しても同じで、
思っていることを言うことができない。
言えないので、相手に合わせるしかなく、
合わせることで仲良くなっていました。
 
合わせてばかりだと、
自分が何をやりたいのか、どうしたいのか、
自分が自分で解らなくなっていきます。
人に合わせるのも、自分の意見を求められることもとてもストレスで、
人といる時にはいつも緊張状態。
 
 

初めて自分が本当にやりたい事を考えた

 
その状態をなんとかしようと、
中学2年生の時、
自分が本当にやりたいことは、なんだろう?と初めて本気で考えました。
 
 
そして、初めて目指したのが「パン屋さん」でした。
 
  
人を喜ばせたい
多くの人に笑顔になってもらいたい。
そんなことができる自分になりたかった。
私がなにかすることで、人に喜んでもらえる、人の役に立てる。
そんな自分になりたいと希望を持って、目指しました。
 
 
そして高校を卒業して念願のパン職人になりました。
始まってみれば、できないこと、やったことのないことばかりで、
当然のことながら、役に立つどころか、
足手まといになる毎日でした。
 
その当時、まだまだパン職人というのは男社会で、
私以外はみんな男性という中で、
とにかく早く1人前にならないと、人の役に立てない。
人を喜ばすことができない。
そんな漠然とした焦りから、
高くて届かないところも、踏み台を使い、
重たい鉄板や、25Kgの粉袋も無理して運び、
先輩たちの手助けを断って、とにかくなんでも1人でやろうと、頑張りました。
 
 

決して消えない不安と焦り

 
4年経って、一通りの仕事ができるようになっていたにも関わらず、
どんなに「できない」ことが「できる」おうになっても、
いつもいつもきになるのは「できてないこと」「できない自分」のことばかり。
どんなに頑張っても拭えない自分に対しての「劣等感」と「自己嫌悪」
 
そんな自分が大嫌いで、変わりたいと願う日々が続きました。
こんな自分が作るパンで、人を喜ばすことなんてできるはずがない。
その無力感と、変われない自分に対しての苛立ちが募って行きました。
「この自分以外になりたい!」
心の中で何度叫んでも、どんなに強く願っても、
いつも襲ってくる漠然とした不安と焦り。
 
そんな自分の状況を誰にも相談することもできず、
答えの出ない、原因も解らない問いに悩んでいた時、
私は、1人の韓国人と出会いました。
22歳の時でした。
 
それが「認識技術」開発者であり、
創始者のNohさんとの出会いでした。
 
 
つづく