琵琶湖疎水という奇跡
〜変化の始まりは“認識”から〜をキャッチフレーズに、
AI時代に必要な新しい教育、組織、チームプレイを創るため、
変化スタイルを提供するCallingerの山口禎子です。
京都にある琵琶湖疎水記念館はご存知でしょうか?
ここはMade in JAPANの出発の地と言ってもいいくらいの
日本が近代化するためにとても重要な場所です。
私は、明治維新という大転換期のことを知れば知るほど、
奥が深く、日本の素晴らしさ、日本人の偉大さを実感することができます。
不可能を可能にした歴史的な大事件
ここ琵琶湖疎水とは、言ってみれば、
「不可能を可能にした歴史的な大事件!」
そんな工事だったということです。
なぜかというと、「日本初!」がとにかく多い工事なんです。
◉日本初、日本人だけの手によってすべてが行われた工事
→当時、重大な土木工事は全て外国人技師の設計監督に委ねるのが当たり前でした。
◉日本初、煉瓦も日本で造られた工事
→すべての煉瓦に「 疎」という字が刻印されている日本お手製です。
◉日本初、商業用水力発電所を稼働
しかも、アメリカの電力のなんと4倍の電力を発電させる施設でした。
◉日本初、鉄筋コンクリートの橋を架けた
→鉄筋とコンクリートを使った橋。世界初はフランスで1873年。
この京都の橋は日本初、1903年。
産業革命の始まりが、西洋と日本で100年以上の差だったと考えると、
僅か30年の差に縮まっています。
◉日本初、電力の路面電車が開通(京都〜京橋間)
→疎水工事主任技師の田邊朔郎らが渡米時に水力発電とともに、
電力電車を見ていたそうです。
◉日本初、山の上から垂直に穴を掘る竪坑方式を採用したトンネル工事
→未経験の工事を「夜に学び、昼に実践する」その繰り返しで実施されました。
→当時、日本最長となる全長2436mのトンネルを開通させました。
驚くべきは、途中、地下水にぶち当たり工事中断したり、
落盤事故により65名の生き埋めがあったにも関わらず、
全員無事に救出されています。
落下により5名の方のみ命を落としています。
これ程、命懸けの工事だったのに、工事全体でも殉職者17人しかいません。
他にも、驚きな事実がたくさんあります。
驚くべきチャレンジ
*学生だった田邊朔郎の卒論を採用「琵琶湖疎水工事計画」
→卒業後、主任技師に任命されています。
*市民に税を課して、行われた事業
→市長である北垣国道によるプレゼンテーションに心を動かされ、
市民の協力も得ています。
*フランスから外債を発行して資金を調達
→1都道府県が海外から資金調達にも驚きますが、
返済についても、20年計画だったところを、10年で完済しています。
*400万人が結集して、すべて人力で工事
→ダイナマイトとスキで作業
項目を挙げるだけでも、本当に驚くことばかりです。
全てが初めて尽くしで、あり得ないことばかりな事業だったんです。
ここにMade in JAPANの原点がありました。そう感じました。
日本の緻密さ、繊細さあっての、
この琵琶湖疏水工事成功だったんだと感動しました!
さらにはこの工事で言ってみたら、
最先端の技術や経験を身につけた人たちが、
日本全国の土木工事で活躍していったのです。
新しいチャレンジはリスクが伴います。
しかし、勇気を持ってチャレンジして、
誰もやったことないことを現実化する。
当時明治維新後、どれだけの人たちがそんなチャレンジをしたのか...
不可能を可能にさせたチャレンジ、歴史的大事件!
そんなドラマが日本各地にどれだけあったんだろうと思うと、
感謝と感動、ワクワクが止まりません!
それが日本人なんだ...
日本人であることにより誇りを持つことができました。
私は、日本人です。